情報との付き合い方と判断力

安倍首相の今回のコロナ対応を見ていると、判断力、全然ないな、と思ってしまいます。

学力や教養がかなり薄いことはわかっていましたけど、自民党の人たちがあれだけ、「安倍さんすごい」的に褒めそやすので、もしかするとリーダーシップはあるのか?とか、リーダーシップを支える判断力があるのかな?と思っていたのだけれど、アベノマスクといい、突然の一斉休校といい、判断力もダメダメですよね。

ものすごく偏った判断力で、ブレブレで、とても首相の器ではないよな〜というのが、この間の安倍さんの対応を見て感じた結論でした。

 

的確な判断を支えるのは、情報との付き合い方のうまさが大きいと思います。

国内に住むさまざまな人たちのさまざまな声を元に、何を優先的に実現するべきで、何は慎重に判断をするべきかというのは、どれだけたくさんの人の声を聞いて、その声から事実と誇張とデマを仕分けて、分別する力を要すると思います。

ところが、この情報を集める上で、障害になるのがバイアスです。

偏見と言ってもいいかもしれません。

ウヨクもサヨクも、このバイアスのせいで情報が偏ってしまうことが、しばしばあります。

一番卑近な例が、ウヨクの「朝日新聞はデマばかり」と、サヨクの「産経新聞は信用できない」という考え方です。

双方とも、このせいで情報源がくっきりと分かれてしまい、そのせいで現実の見え方が180度違ったものになっているのではないかと思います。

そのせいで、意見を交わそうとしても、なかなかうまくいきません。

バイアスを取り除いた方が、複合的に現実を見ることができ、対応力が上がるのですが、バイアスがかかった人は、自分のバイアスに気づきにくいので、一方的な視点にとどまって、判断を誤ってしまいがちになります。

 

安倍首相もネトウヨも、明らかにこのバイアスに支配されています。

サヨクの情報やメディアの安倍批判は、批判のための批判だ、というバイアスがある限り、その情報や提案を政策に生かそうとか、判断材料にしようという考えにならないのですね。

これがコロナ対策の遅れにつながった側面は否めません。

 

安倍首相には、似たような重大な判断ミスが過去にもあります。

福島原発津波対策を怠った点です。

共産党の吉井英勝議員が国会質問で、福島原発津波で全電源喪失の可能性があり、対策の必要があると質問した時、その必要はないと突っぱねました。

せめて、当時、津波がどの程度の規模の可能性があるかを専門家に確認し、30メートル規模の津波への対策が必要という認識で、なんらかの対策をとっていれば(原発を停止するしかないと思うのですが)、福島はあんなに深刻なことにならずにすんだのだと思います。

 

結局、こういう、さまざまな角度からの情報をどう取り扱うかが、的確な判断ができるかを左右するということが、よくわかります。

 

ところが、多くの人は、情報の真偽を、どこが情報源かに委ねてしまいます。

産経か朝日か、新聞か週刊誌か、ニュースかワイドショーか、ネットか活字か、そして専門家かどうかです。

専門家も「感染症の権威」かどうかが大事な判断材料になります。

平たくいうと、権威のある専門家や、同じ価値観の媒体は、「信頼性のある情報」となり、権威のない研究者や、価値観の違う媒体は、「信頼性のない情報」と判断してしまうのです。

ここに、すでに「信じる」「信じない」というバイアスが加わっていることに、多くの人は気付いていません。

 

ところが、専門家会議のメンバーのように、権威のある専門家であっても、間違えてしまうことはあります。

未知の出来事が起き、検査も十分でない状態では、ほとんどのことにエビデンスがないわけですから、専門家が言っているからといって「科学的」とも「正しい」とも限りません。

専門家がいうことが、個々に違っている場合はなおのことです。

ここで、情報をどのように取り扱うか、個々人のリテラシーが試されるのだと思います。

 

素人が聞いていても、専門家の言葉で、虚実を判断できる場合もあります。

専門家はあくまで、その分野の専門家なので、ほかの分野では強いバイアスがかかっているのに、決めつけの断言をする人物がいます。

たとえば、武漢医療崩壊が起きたことを捉えて「医療崩壊が起きるのは発展途上国だけ」と言った「感染症学の権威」がいました。

凝り固まった偏見の持ち主であることがわかります。

 

大切なのは、偏見なく柔軟な目で、事実を見抜こうとすることです。

多くの情報には、発信者の立場や角度がありますから、さまざまな角度の情報を総合して考えないと、リアルで複雑な現実に迫ることはできません。

いろいろな情報を摂取しながら、事実の要素がどれぐらいあるのか、デマなのか、読み解いていく必要があります。

発信元の信頼性も大事ですが、信頼性が高い発信元でも間違えてしまう場合があるのです。

もう一つは、事実かそうでないか、判別がつかない情報があります。

今回のコロナ関連の情報の多くは、そういう種類のものです。

これは、心の中の「保留」スペースにしまっておくのが正解です。

「これが事実である可能性もある」と、頭から否定もせず、信用もせず、その情報の真偽を判断するための別の情報が出てくるのを待つのです。

事実であることが証明できないからと言って、デマであると決め付けるのは早計です。

検証する機会が来るまで、可能性として取っておくと、後々、意外なところから全体像が見えてくることがあります。

 

あれ?変だな?という引っかかりも大事です。

引っかかったことは「保留」にきちんと閉まっておくと、後からますます疑惑が膨らんで、あるとき、「やっぱり」と思うことが起きます。

たとえば、昨年、体操会をにぎわせたパワハラ疑惑がありました。

被害を訴えたのは10代の女の子でした。

いたいけな女子が記者会見に挑んだのを見て、世間はあっというまに、彼女の味方になり、体操界の実力者夫婦をバッシングしはじめました。

でも、私は、記者会見場に入っていく女の子の口元がニンマリと微笑んでいたことに違和感を覚えました。

パワハラを受けていたということは、世間にも公表したくないことです。

被害者は恥の感覚を持たされていますし、自尊心を傷つけられていて、疲弊した表情で自分の体験を訴えます。

思い出すのも苦痛なんです。

でも、彼女はジャンヌダルクか何かのように、挑むような目で、英雄的に登場しました。

たくさん集まった記者たちを見て、「うまくいった」と思っているかのように微笑みました。

これが業界の実力者からパワハラを受けて萎縮している10代の表情だろうか?と私は女の子の表情を見つめました。

要求も奇妙でした。

自分に体罰を行って除名されたコーチの除名を取り消してほしいという内容でした。

ふつうのパワハラ被害者の要求からは明らかに異質です。

双方の情報を聞き、ていねいに読み解き、どこが整合性が取れないのか・・・それを慎重に組み立てながら、複眼でとらえていく必要がありました。

結果、どうやら彼女はコーチやその弁護士の代弁者として、誇張してパワハラ騒動を起こしていたようだということが見えてきたのです。

 

どうにも辻褄が合わない。

なんだかパズル全体の中で、うまくつながらないピースがあるというとき、もう一度全体像を組み立て直す必要がある場合があります。

さまざまな、事実の可能性がある情報がパズルのピースであり、その情報源は、意外なところから入手したものである可能性もあります。

情報源は元より、その情報自体の事実の検証は大事です。

完全なデマの可能性もあるので、どこから入手した情報でも、「信じる」ことはできません。

いろんな角度から、さまざまな人との情報交換によって、確度は少しずつ高まっていく場合もあります。

 

専門家会議の考えと、モーニングショーの岡田晴恵さんの考えは、コロナという一つの事象を少し違った角度から見ていたように見えました。

専門家会議は、対策の中に、経済や人権をつぶさない適度なバランスを探っていました。

一方の岡田さんは、国民の間に警戒心を高めることに熱心な印象を受けました。

コロナは実際、専門家会議のメンバーが考える以上にやっかいなウイルスでした。

一番な失敗は、PCR検査が限られた状態でも、軽症者が自宅で大人しくしていてくれれば、オーバーシュートや医療崩壊は防げるはずだと考えていたらしい、という点です。

この点では、検査拡大とホテルなどを借り上げたトリアージ、発熱外来の設置など、岡田さんの提案は、ズバリ的中していました。

一方、コロナウイルスの特徴を、世界に先駆けてつかみ、三密を避けることと、クラスター潰しを行うことを提案した専門家会議も秀逸だったと思います。

残念だったのは、この2つが組み合わさってこそ、パーフェクトな対策になるはずだったのに、それに気づいたのは緊急事態宣言後だったことです。

コロナ禍という一つの事象を的確に捉えるには、専門家会議と岡田さんの両方の視点が組み合わさることが必要だったのです。

 

論争が起きているときに、論争相手の情報が、自分を打ち負かすためのものだと考えると、たいてい複眼でものを見ることはできません。

相手の情報は、自分には見えないものが見えているのであり、その両方を組み合わせてこそ、事実に一歩近づくことができるのだと思います。

双方の情報が矛盾なく整合性の取れるものかどうか、全体像を推し量りながら、集まった「事実」のピースを一個一個埋めていく・・・そうやって全体像が見えてくると、何をするべきかの判断が揺るぎないものになっていくのだと思います。f:id:miyurinote:20200522222518j:image

結局、東京の感染者は何人だったのだろう?

この3カ月、東京に新型コロナウイルスがどれぐらい広がっているかを考えていました。

 

2月下旬くらいから、どの程度なのかな?と、いろんな数字をにらみながら推計していたんですね。

一番シンプルな推測は、検査で出た陽性者の10倍という数字です。

東京では検査を絞っていて、発熱だけではなかなかPCR検査を受けられない。

専門家会議の人たちは、インタビュー記事などで、重症者2割を検査で発見して入院させる、軽症者は自宅で療養していれば治ると公言していました。

そのための発熱4日のルールなのだと伝わってきました。

それならば、検査でつかみたいのは、発症者の2割。

さらに、発症していない無症状者が発症者と同じくらいいる・・・と考えると、だいたい10倍にくらいかな?と。

 

4月に入って、陽性者数はぐんぐん上がって、指数関数的な上昇のベースに乗ってしまうのではないかという切迫感が出てきました。

入院患者に感染者が混じるようになり、医師会はようやく本気になりはじめました(もしかしたら、検査数を増やすことができない政府に業を煮やしたのかもしれませんが)。

大学病院などでも、入院前のPCR検査がはじまり、ようやく民間の検査数が増えはじめ、やがて陽性者はピークをすぎて、減少しはじめました。

 

結局、東京では累積5133人、死亡256人(5月21日現在)。

https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/

 

かなりの数の人が検査からこぼれてしまったのではないかと言われています。

その指標の一つが抗体検査。

東大の検査で判明した抗体検査の陽性率は、0・6%でした。

単純計算で、8万4000人が感染していた可能性があるのです。

ところが、これでは致命率が0・3%。

驚くような低さになってしまいます。

致命率は0・7〜3%くらいにはなるのではないかと思われます。

 

そんなときに、ツイッターで、4月の超過死亡を掲載していた人がいました(表)

4月分の死亡者数を発表した全国の自治体だけで計算して、超過死亡を計算したのだそうです。

その超過死亡の比率を、全国に当てはめて推計すると、8000人ほどの超過死亡があった可能性もあるというのです。

だとすると、単純に10分の1と考えても、東京の超過死亡は800人ほどいたと考えられます。

この超過死亡は、単純に全員がコロナとは言えないとは思います。

ですが、自宅でゆっくりしていた結果なのか、自殺数はかなり減っていますし、交通事故死は前年比+2人です。

来年と比べて800人も死者が増える原因として、コロナ関連以外に何か考えられるでしょうか?

コロナ肺炎による死亡だけでなく、

発熱しても受診できなかった受診拒否、

本人が病院にかかるのをためらった結果、手遅れになった受診抑制、

医療崩壊のために、適切な手術や治療が受けられなかったケースもあるかもしれません。

さらに、コロナ以外と診断された肺炎や、血栓のための脳梗塞心筋梗塞など、コロナが原因だったのに、ほかの病名のまま亡くなった人もたくさんいたのではないでしょうか。

 

東京はコロナの感染者数が全国でも多い方ですので、もしかすると超過死亡は800人ではすまないかもしれません。

そのうちどれぐらいの比率が、コロナウイルス に感染した結果の死亡なのかもいまや確認しようがありません。

 

ただ、800人と考えると、8万4000人の感染者のおおよそ1%の致命率となり、医療の進んだ日本としては、かなり妥当な数字に思えてくるのです。

 

超過死亡の話題は、まだあまり知られていません。

ですが、しばらくすると、都内の自治体の死亡者数が出そろいますし、専門家が計算すれば、たちまちリアルな超過死亡者数が判明すると思います。

それが出てくると、国民的には、注目を集めうるのではないかと思います。

 

その頃に、正確にわかってくるのではないかと思うのです。

 

抗体検査の陽性率0・6%で、8万4000人の感染者がいた可能性が指摘されましたが、逆にいうと、発見されなかった感染者は7万9000人いたかもしれないのです。

死亡者も、コロナとしては250人程度ですが、550人がコロナとの関連がわからないまま亡くなってしまったかもしれないのです。

 

事実がわかってくるのは、全国の死亡者数がはっきりとわかるこれからです。

 

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