PCR検査はなぜ増えないのか?
PCR検査がなかなか増えないと、テレビで指摘されていますね。
なぜ増えないのか?
テレビで曰く、
・厚労省内の専門家が強硬に反対しているからじゃないか?
・検査数が増えないから、民話企業が機器の購入や人員の増加をせず、キャパが増えず、キャパが増えないから検査数が増えない
・保健所の人員不足で行政検査が増えない
などなどなど。
中には、ホンマかいな?と思う説もあります。
私は、PCR検査については、クルーズ船で混乱していた2月ごろから、PCR検査を増やすべきだと主張してきました。
職場では、そのせいで何かと激論になりました。
当時は、PCR検査は増やすべきでないという人が職場にも結構いたんですよね。
そのときに言っていた理由は
・検査で陽性が出たらその病院は休業する羽目になって大変なんだ
・検査の待合室などでかえって感染を広げてしまう
・検査で陽性がたくさん出てきたら医療崩壊を引き起こす
・感度が低く、偽陰性がたくさん出るし、特異度もあるから偽陽性も出てしまい、陽性よりも偽陽性が多くなる場合すらあるから、ムダな検査になる
・そもそも、感染率が低いのにやたらと検査を広げるのは財政のムダでもったいない
アンテナが高い人たちが言っていたことなので、それなりに専門家や詳しい中心的な人たちがこういうことを主張していたのだと思います。
でも、クルーズ船の様相を見ていると、検査をして確定して隔離する。さらに周辺の人たちも検査をしてさらなる感染者を見つけていくということをやっていかないと、感染は確実に広がるだろうと思わずにはいられませんでした。
検査の過程で感染するとか、感染者が多すぎて医療崩壊を起こすなどの問題は、さまざまな工夫をすればクリアできそうです。
当時、私が心配していたのは、どこかで見えざるクラスターが発生している可能性があり、それをどんどん見つけていかないと、感染は無尽蔵に広がり、気がついたときにはオーバーシュートのとば口に立っていることになりかねないということでした。
私が、とにかく必要だと思っていたのは、発熱した人は1日目からすぐに検査できるだけの体制をつくることでした。
感染者が何人かいれば、そこに必ず発熱した人が出てくる。その人を検査して、その周辺を検査すれば、クラスターや複数の感染者が見つかり、隔離をすればその分感染拡大を食い止めることができる、という考え方でした。
当時は、発熱患者が自宅におとなしくしていれば、必ずしも検査をしなくても感染拡大を防ぐことができる、と専門家会議などは推奨していました。
職場でも、それを推奨する人もいました。
でも、私はそれでは感染拡大は防げないと思っていました。
一つは、日本人は熱が出たときに2週間も仕事を休み続けるということはできないだろうと思ったためです。
もう一つは、発熱患者を検査しなければ、その周辺の感染者を発見することも不可能になるので、見えないクラスターが都内各地にできてしまい、それが顕在化した頃には手遅れになる公算が高い、と思ったためです。
ところが、厚労省は発熱4日ルールを設けて、なかなか検査が受けられない状態を生み出し、感染拡大を招いてしまいました。
なぜ、検査を抑制したのか?
医療機関と保健所と検査体制が圧倒的に不足していたためです。
とくに医療機関が足りないことで、無症状者もふくめて感染者を把握してしまうと、その人たちの入院で病院はパンクしてしまい、医療崩壊を招くことを恐れていたのでした。
ですが、感染者はどんどん増えました。
とくに、発熱4日ルールを守って検査をした結果、陽性と判明したときには結構重症の状態という人も一定数いたようです。
無症状や軽症者のほとんどは見つからず、検査で発見できるのは、すでに肺に影があるような中等症者と重症者が多く、無症状者はたまたまクラスターの中で見つかる程度だったのではないかと思います。
でも、本当はその周辺に、多くの無症状者がいて、その人たちが媒介していたのです。
第二波では、その構造が明らかになりました。
健康保険で検査が可能になり、医師会の協力のもと、行政検査以外のPCR検査が可能になったため、発熱したら検査ができ、その周辺の無症状者も把握できるようになりました。
若者の無症状者や軽症者が予想以上に多く、その結果、相対的に重症者は前回よりも増えにくくなったように見えます。
でも、これは早く把握できるようになった結果に過ぎないのではないかと思います。
検査は、一定拡充はできました。
それでも、感染拡大を食い止めるまでには至っていません。
発熱したら検査、濃厚接触者は検査・・・せいぜいその程度にとどまっている感覚です。
増えないままでは、インフルエンザが流行したときに、また発熱患者が検査をできず、コロナか?インフルエンザか?と判断できずに困ってしまう可能性が高くなります。
現に、現在も、発熱した高校生が熱中症ではないかと検査を受けず、後からコロナと判明したケースがありました。
発熱しているのに検査をしないなんて、いまの状況下ではとち狂ってらとしか言いようがないです。
私も「コロナと熱中症」をテーマに医師に取材をしましたが、現状では熱中症だろうと思われる症例でもすべて検査はしたほうがいいとのことでした。
世間を見ると、熱中症とコロナ では、明らかに熱中症で体調を崩す人の方が多いです。
でも、可能性としてはそうであっても検査は必ずするべきです。
なぜなら、発熱患者の周辺には、複数の感染者が潜んでいる可能性があるからです。
こういう一つひとつの事例で、検査を躊躇しないためにも検査を拡充していくことは必須だと思います。
そこに何の異論も出てこないのではないでしょうか?
検査拡充しなければならないということは、一見明確に思えます。
これほど必要性が明確なのに、そして野党だけでなく専門家会議も分科会も政府も与党も拡充すると言っているのに、なぜ増えないのだろう?と疑問が生じてきます。
厚労省はかつて4日間ルールを設けて検査を絞った前科があるので、真っ先に疑われそうなものです(笑)
でも、これは少し丁寧に見ていかないと、印象や情報に飛びつくと間違えてしまうような感じがします。
そもそも、検査を担っているのは、保健所と公的な検査機関のルートと、病院と民間検査機関のルートと、大きく分けるとこの二手になります。
検査を受けたい人は、まず保健所に相談して、行政検査が受けられるかどうかという第一のルートの可能性を探るわけですが、こちらはかなり限界まで機能しているのではないかと思います。
クラスターが発生すれば、せっせと濃厚接触者を拾って検査をしていくのはこのルートなのです。
数十人規模のクラスターが発生すれば、どれほどのてんてこ舞いになるかは、ちょっと想像すればわかることで、いざというときのために一定余地を残しておきたいというのも当然だと思われます。
もう一方の病院ルートは、民間検査機関のキャパにはまだ余裕がありそうです。
こちらをどんどん増やしていけば、民間機関も検査機器を導入して増えていきそうなものですが、なかなかそうならないのが疑問なのです。
そもそも、キャパいっぱいになるほど、医療機関からの検査が持ち込まれているわけではなさそうなんですね。
こちらの方は、症状が出た人が検査を受けるのが通常なので、コロナ の市中感染率が50人に1人とか、かなりのところまで高まって、発熱患者が急増でもしない限り、そうそう急に増えていくものでもないのでしょう。
そうは言っても、コロナの感染者は2週間ごとに増えているわけで、このままでは歯止めがかからなくなりそうで、いま打てる唯一の効果的な方法が検査のようにも思えます。
そこで、無症状者をどんどん検査していったらどうか?ということになるわけですね。
この中で、旅行に行く前に念のために検査をするというような人は、自主診療で保険は使わずに自分で全額払います
現在、症状もなく濃厚接触者でもない、つまり感染している可能性がもっとも低い群がいて、これがものすごい数にのぼるわけです。
この中から、感染している人を抽出しましょう、という難題が目の前にぶら下がっているんだな、と思います。
そこで、「武漢のように全数検査をやったらいい」という発想が出てくるのも、まあ、当然の流れだろうなと思います。
こういう話が出てくると、蒸し返されるのが、「感度、特異度の話」というわけです。
感度、特異度の話というのは、私は最初、政府系の医療関係者やネトウヨの人たちなどがPCR検査拡大すべしの世論を抑え込むために主張しているのかと思っていました。
ところが、いろいろ見ていると、公的な検査機関の検査技師や、災害時感染症対策チームなど、現場の人も一生懸命に発信しているんですね。
現場主義の私としては、この声は見過ごすことができないと感じ、いろいろと見てみました。
やはりわずかとはいえ、偽陽性者は出てしまうようで、しかも検査を無症状者に闇雲に広げれば、それだけ偽陽性者も出てしまうということのようです。
たとえば、特異度が99・99%なら1万人に1人が偽陽性です。
岩手県は日本で一番感染が抑えこめている地域ですが、その人口が123万人。
もし全数検査をすれば、123人の陽性者が出て、実はそのうち1人も感染者はいなかった、ということも起こり得るわけです。
これはたしかに不合理な気がします。
では、岩手はやめて東京ならどうでしょう?
1400万人に全数検査をやってみる。
すると1400人が陽性になります。
もしかすると、もう少し多いかもしれません。
感染者が一定の比率いるだろうと思われるからです。
いま、東京は多い日で400人の感染者が出ています。
それでも偽陽性の方が数が多いというわけです。
なるほど、全数検査はやめた方がいい、増やすにしてももう少しターゲットを絞って、感染者が多い群の中で検査を拡充しないと、検査技師の仕事が増えるばかりだな、だから現場が一生懸命にやめてくれと訴えていたわけか、と見えてきます。
現場の苦労が報われるような検査のやり方を考えていかなくてはいけません。
ニューヨークが「いつでもどこでも誰でも」という検査をやって一定成果を収めているのは、それだけ感染率が高かったからです。
日本でも、どの程度の検査の拡大をするべきかは、地方に応じて、感染率に応じて考えていく必要があるでしょう。
世田谷区は医師会や東大の協力を得て、もっと検査を増やす方向のようです。
たとえば医療関係者や福祉関係者全員に定期的にPCR検査を行うということで、これはとても有効だと思います。
新規入院患者とスタッフに関しては、できるだけ検査を行うことで、院内感染を防ぐことができ、重症患者を出すリスクを減らすことができますからね。
一方でスローガンに掲げている「いつでもどこでも誰でも」は、反対はしないけれど、将来的な目標とするくらいでいいのでは?とも思えます。
もっと重点を置くべきところがあるんじゃないのかな?とも思えるので、必ずしもニューヨークのように検査を充実させなくてはいけないというものではないと思います。
東京医師会がいう1万人に1カ所というのは、とても妥当な数字です。
なぜなら、インフルエンザの季節が来ると、必ず発熱者が出てきて、検査を必要とします。
「秋冬にコロナ患者が増える」というのは、なんのエビデンスもないただの憶測ですが、「秋冬にインフルエンザが出てくる」というのは確実なエビデンスのある話なのです。
ついでにいうと、「夏にコロナはいったん収束し、秋冬に増える」というのも、なんのエビデンスもない憶測でした。
これを繰り返し言っていた人がいて、なんとなくGOTOトラベルも大丈夫なのかな?という空気を世間に広げてしまいました。
この方は、それ以前には「学校で感染が広がる。休校すれば感染を抑えることができる」と主張して、実際に一斉休校のきっかけをつくってしまったのではないかと思われます。
まあ、責任者はあくまで判断した首相ですがね。
専門家会議は「休校についてはエビデンスはない」と言っていました。
この二例だけ見ても、やはり、エビデンスのない「専門家」の発言は怖いと、あらためて痛感します。
とくに、突然一斉休校になってしまったときには、おかしいと思ったことはきちんと伝えておくべきだった、嫌われてもいいから批判すべきところは批判するべきだったと激しく後悔しました。
繰り返していうと、あくまで本当に悪いのは政府です。
責任者は政府であり、判断するのも政府。
そこを間違えてはいけないですね。
きちんと政府の責任を問うべきで、日本では高くそこを曖昧にして、それが免罪につながり、結局何が問題だったか曖昧なまま、教訓化できずに同じ失敗を繰り返してしまいます。
専門家には専門家の責任があります。
エビデンスに基づかないことを、予言者の如く言い立てるのは、無責任な「専門家」のやることです。
さらに、間違ったことを言った後に反省せずに、その後も予言者気取りをやめられないなら、成長しないエセ「専門家」かもしれないと見抜いていくことも必要になります。
専門家の意見で、やはり重要なのはエビデンスがあるかどうかです。
吉村府知事のイソジン会見でも、そのことは明確になったと思います。
検査はなぜ増えないのか?という疑問に立ち返ると、システムの問題は大きいと思います。
検査機器をそろえても、検査技師でなければ検査が行えないのでは限界があります。
もし可能ならば、各地域の拠点病院に全自動PCR検査機を導入して、周辺のクリニックもそこに持ち込めばすぐに検査ができるようにすればベストです。
そうするためには、検査技師がいなくても、全自動であればPCR検査ができるように法改正しなくてはなりません。
また、民間で検査をして、陽性が出た場合には、必ず保健所に報告するなど、情報をいかに行政がしっかりと把握していくかということも重要です。
検査数や検査の内容、検査結果などは、そこから陽性率などを把握していくために重要な情報で、もれなく中央が捉えて、研究に反映され、政策決定に生かされなくてはいけません。
そう考えると、闇雲に検査数を増やせという話にならないようにと、現場の人や専門家メンバーが慎重さを求めるのも極めて当然のことのように思われます。
現場のことをよく知らない一般の人の側から、「全数検査を」という声が上がり、現場側から「全数検査というのは、特異度があって・・・」という反論が返ってくるという構図になっていて、検査の拡大の仕方についてはもっとていねいな議論にしていかないと、平行線なんですよね。
もう一つ、医系技官の人たちが検査拡大を妨害しているのではないかという説を唱える人たちもいます。
これが果たしてそうなのかというのは、その人たちの意見を全部さらってみないと言えないことですが、はっきりと言えるのは、「この人たちが検査拡大に反対している」といえるような明確な根拠はどこにもないということです。
あくまでも、憶測で、「何やら計算を用いて発言していて・・・」と。
だけど、その内容が検査拡大に反対なのか、それとも闇雲な拡大に慎重なのかというのはまったくわからないまま、「あの人たちが・・・」という批判が繰り返されているわけです。
これはひどいな、と思っています。
批判をするなら、明確な根拠を示すべきで、ちゃんとした根拠もないのに原子力ムラと同列に扱われる筋合いのものではありません。
それなのに、「批判する人の言うことなんて気にすることはない」とかね。
それは、自分が根拠のない批判をしている相手に対して言ってあげてほしいよね。
自分自身や自分の身近な人に対しては、「批判されるとかわいそう」という立場で、根拠を示した批判にも耳を貸さず、自分自身はちゃんとした根拠も示さずに原子力ムラと同列に扱うような批判をする・・・そういうことでいいんですかね?という感じがします。
分科会メンバーの一人、岡部信彦さんについて、知人に、ほんとのところどう思ってるんだろう?と聞いたところ、「岡部さんはいろんなことを知りすぎているんじゃないか」と言っていました。
おそらく、現場のことをよく把握していて、保健所の逼迫状態をわかっているということのようで、それをこれ以上強めないということがあるのではないかと思うんですね。
とくに、聞き取り調査というのは専門的な技術が必要で、陽性者が出てくると聞き取りをしなくてはいけないわけです。
たとえば、全数検査を行なって、偽陽性が出ても、聞き取りをしなくてはいけない。
特異度をもうちょっと高く見積もって、99・999%にしたとしても、東京都の全数検査では140人の偽陽性者が出てしまう。
そうではなくて、もっと効果的にコロナを把握するPCR検査の使い方をする必要があるし、そこに知恵を練る必要があるんだと思うんですね。
こういう状況では、現場に寄り添い、現場感覚があるというのはとても大事なことだと思います。
沖縄が店名公表をしなかったのも、疫学調査に支障をきたすから、という理由を言っていましたが、有り体に言えば、店名公表するようになると、「迷惑がかかる」という理由で、自分の行動履歴を正直に言ってくれない人たちが出てきて感染ルートをつかみにくくなるということなんですね。
これは、明らかに感染対策にマイナスなわけで、そういうことが一番わかっているのは現場なんです。
そういう想像力もないままに、「行政が悪い」とか批判するのはどうかと思いますよね。
PCR検査を増やすには、先ほどから書いているように、政治がきちんと動くことが大事です。
そもそも、この問題の根底には、政府が、保健所を減らし、医療を削減してきたということがあるわけです。
「そんなこと今更言っても仕方ない」というのは、責任は誰にあるのか、判断するのは誰なのかを曖昧にしてしまう日本国民特有の感覚で、これが無責任なトップを生み出し、無責任な専門家を生み出しているのだと思います。
責任者の不作為が今の事態を生んでいるのだということを、もう一度再確認して、責任者がきちんと動くべき、まずは国会を開いて法改正をするべき、というのがまっとうな主張だと思います。